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秦氏と京都の発展

秦氏は京都の発展に大きく寄与したというのはよく知られているところですが、実は秦氏とは秦の始皇帝の直系の子孫、弓月君(ゆづきのきみ)が中心となって渡来したという。
仲哀天皇の時に嘆願して渡来させてとお願いしたが、人数が多く途中新羅に邪魔され移動ができなかったとのこと。
そこで仲哀皇后の神功皇后が新羅に兵を送り新羅を抑えて秦氏一団が渡来することとなったとされているようだ。つまり亡命ですね。それで深堀してみると、なんと九州(行橋あたり)に最初に渡来し拠点にして、兵庫や京都に移って行ったとされているようです。
ちなみに秦氏はキリスト教だとかユダヤ教だとか言われているそうです。ワォ!
でその後の活躍がすごい。土木建築技術、京都嵐山に席を作り港として丹後から資材やらなんやらを運び込んだのだそうだ。
蚕養・機織・農耕などの技術を伝えたとされています。賀茂氏も秦氏からの分家で、松尾神社、伏見稲荷は秦氏が造営したものだとか。賀茂氏も上賀茂神社、下鴨神社と……。
有名どころでは、聖徳太子の側近の秦河勝が建立した広隆寺で、聖徳太子もお祀りされておられるようです。ちなみに太秦って地名は「ローマ」を指すとか。
なんとも謎多き民族ですが、末裔をいろいろな人が名乗ってますね。
長宗我部宗元親・島津義久(弟の家久の小説は読んだことがあった)・赤穂浪士・麻生太郎
八幡神を作ったのも秦氏であったとか。世話になった神功皇后や応神天皇を祀るあたりすごいですね。
で当時としては最大勢力の八幡神(宇佐八幡が総本社)は勢力抜群だったので(皇室も神託をいただいていた)その勢いがわかる。

ってそんなすごいことになってたんですね。京都だけかと思ってました。浅学、汗顔の至りです。
秦氏に関する学説や文献はネットにもかなり出てますから是非ご興味のある方はググってみてください。

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