「あなたのお母さんは数値がかなり以上を示しているので緊急でMRIと心電図を撮ります。」
10日ほど前微熱でお腹を少し壊していた母の、今日は2ヶ月に1回の定期検診の日に医師から突然そう言われた。
血液検査の結果を見ると明らかに肝臓の数値がべらぼうに跳ね上がっている。
「ん? ガンマGTP俺より高いやん!」と医者に説明を求めると、「おそらくは胆管のあたりか肝臓が異常ですのですぐ検査します」と言い各所に連絡を回してくれた。
何枚か承諾書を書かされ、検査後30分ほどして、「先に説明しましょう」と担当医が駆け寄ってくる。「母はどこに行ったんでしょう?」「今心電図とってます、今のうちに」と診察室に促され今撮ったMRI画像を見せられる。 主に肝臓であろところを行ったり来たりしながら見せてくれている。 「何か悪かったんですか?」と説明を求めると「肝臓なんですが、この黒いところ……」黒い斑点のようなものが無数に見て取れる、「なんですか?」「多分ガンだと思います、しかも悪性の、一番大きいもので8cmほどあります。 腹水が溜まっている所見も見受けられます」と慎重に言葉を選んで説明してくれる。 もちろんその時に聞きたいのはどのくらい進行しているのかを聞きたいが、何度も問題の箇所を行き来して見せているということは、そういうことなんだと悟った。
「先生、ぶっちゃけ聞きます。あとどのくらい生きられますか?」「んー 残念ですが正月までは持たないかな、という感じです」(実際には進行具合が早く2ヶ月だった)
本人になんて説明するんだよと頭の中は回転している。おそらく僕が嘘を言っても一発で見抜くだろう。
「ひとまず入院していただき、源発がどこかを調べましょう」「それに、MRIでは鮮明に見えないので、明日CTを撮らせていただきます」
ひとまず、説明しないといけないので、母の元に近づくと看護師が3人ほどで説得している。 「検査で入院するだけだからね!」
母は涙ながらに「入院嫌だ! 帰る。 なんともないのに!」と訴えている。 こうなったらテコでも動かないので「かあさん、前に胆嚢とったところが炎症してるらしいから、ちゃんと調べてもらおう。 大ごとになる前にわかってよかったね」と精一杯明るく「このクソ暑い時だからクーラーの効いた、綺麗な病院で看護師さんたちも優しいからちょっとこの際ゆっくりさせてもらいなさいよ」と説得する。 「喉乾いてないか?」と話をそらせ、水をもらいに行く。 多分この瞬間母は「何かあったな」とすでに見切ってると思うが、方便がバレないことを祈るばかりである。
自分自身をひとまず落ち着かせ、嘘っぽい笑顔で水を渡し、入院の説明を聞き、家に電話して入院セットを用意してもらう。
病室に通され本人は「なんともないのに」と訴えるが「何もなくても、この際やから隅々まで検査してもらおう。 最近ご飯も喉を通ってないし、水分不足で熱中症っぽくなってるし、ちょうどよかったやん」とあくまでポジティブを装うが、僕の心中穏やかではない。 これ以上いるとボロを出すので、「荷物まとめて取ってくるわ」と一度その場を離れることにした。
僕の妹や叔母など何箇所かにそのことを伝え、ひとまず家に帰り、一通り入院の用意して、トンボ帰りする頃には少し気持ちを整理した。
「とりあえず明日、CTやらなんやらするらしいから、夕方またくるわね」と言ってその日は一旦帰った。
実は自分にもガンの経験があるが、自分の時は意外とあっさり受け入れたが、母親の宣告を、何も思ってない時に聞くとは予想していなかった。 帰ってから、ボディブローのように効いてきやがる。 家長として家族に涙を悟られないよう風呂に入りシャワーに流した。
次の日夕方4時、医師と結果の報告を聞く。 現場の看護師、緩和ケアの担当看護師など狭い部屋に5人で医師の報告を黙って聞く。
「肝臓、大腸の最深部にガンの所見がみられます。明日大腸の方に内視鏡を入れて見てみますね。 このままだと腸閉塞を起こして大変になるので……。」
「先生それ何か対処できるんですか? 腸だけ切るとか? いくら何でもご飯が食べられなくて死ぬのは辛いだろうから、最後まで尊厳のあるように食べられるようになりませんか?」と詰め寄る。 医師からすれば、手術をして回復を待つ間に、他が進行することを予測しているのだろう。 しかし食べられないのは辛いだろう。 そう思うのは若い頃貧乏で、僕たち兄妹をを育てるのに、食うや食わずの生活をしていて、死ぬ前ぐらいきちんと食べさせてあげたいからだ。 きっとそれで死んだ方が本人も本望だろう。
本人は痛くもかゆくもないらしい、まだ元気である。 今親孝行しなくてはいけない。 しかし結局何もできないことはわかっているので、せめて可能な限り寄り添おうと思う。
何も死ぬために生きるわけではない。
何も希望がないわけではない、人は誰もがいつか死ぬ。 逆に濃縮した希望を持とう、きっと小さな奇跡は起きるはず。
可能なら奈良にいる僕の妹にも合わせてやりたい。
まだ半年もあるじゃないか。
母が大病になったことで温かい気持ちになり、初心に返れたことに感謝しよう。 最後までやれることを全力で!
人生の最高の感動のフィナーレはまだはじまったばかりだよ、母さん。
(おわり)
追記:母は平成最後の九月七日安らかに永眠した。 結局最後まで僕は嘘をつき通した。 「治るよ頑張ろう!」って。 永遠の嘘になってしまいましたが、ただ、母は全て分かっていたと思う。
ちょっと照れくさかったが、意識のあるうちに「母さんありがとう、愛しているよ」って伝えられたことだけはよかった。 病床から抱きしめてくれた時はやはり「母なんだ」と今更ながらに実感した。
同じ境遇にある方は是非伝えてください。 愛している方に「愛している」と。
母さん今まで本当にありがとう、永遠に愛してますよ。